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南華のブログ

 風水・五術・道教・仏教・小周天・内火・守護仏・宝石・西遊記などについて不定期で更新していきます。
 占いや宗教などに関心がある方、ぜひ見てください。
 
イチローは頑固一徹の人、紀香は「絶」、「帰一」は?
今月末に行われる、掛川掌瑛先生の明澄透派日本特別講座09’

 「子平・遁甲・姓名学講座」の案内より



姓名学とは

昔から「名は体を現す」といわれているように、姓名は人となりを表す重要なものです。
少子化が叫ばれる昨今、親が命名を有料で依頼するケースも増えてきております。
また、赤ちゃんの命名だけでなく、成人した方も運命に応じて、ビジネス用の名前を使い分ける命名依頼も増えてきています。
さらに企業名や店名、屋号となると、企業や商店の命運を決定することさえあるのです。
近年、たいへん需要の高まっている分野といえるでしょう。



数・形・音・義・姓名学のすべてをマスターする!
多角的な姓名判断の方法を1日で伝授する、大変充実した講座です。
1 字画による姓名の見方
なぜ『康煕字典』の画数を使うのか?

※皇后陛下「正田美智子」さまは「連珠格」の大吉名
2 字形による姓名の見方
子平姓名学による字形分類・字形姓名行運法

※「小沢一郎」「鈴木一朗」、「一」のつく人は頑固一徹
※「紀香」の「いとへん」は良いことが長続きしない凶名


3 字音による姓名の見方
子平姓名学による音声分類・奇門遁甲姓名学

※「タケシ」「ナカイ」は「飛鳥跌穴」の強運名!
※「ショーコー」は「伏宮格」の凶名

4 字義による姓名の見方
命名における注意事項

※「遼」「遥」「万里」は目標達成が遠い名前
  ※「静香」はあまり静かではなく攻撃的な名前
 
日程 5月31日(日曜日)10:00〜18:00
料金 ¥29,400(教材別)
教材 『明澄透派・姓名大全』 ※発送開始日:2009年5月25日
   『明澄透派・奇門遁甲・命卜篇』※発売中
    当日、講座会場でも販売いたします。
講師 <東海金>掛川掌瑛  



 講義内容のうち、赤字で示した「字形姓名学」について、注目したいと思います。

まず、
※「小沢一郎」「鈴木一朗」、「一」のつく人は頑固一徹

 これって、毎日の鑑定でも、本当によく当たります。
 先日も、ある奥様が鑑定に見えて、旦那様のお名前を書いていただいたら、「○○勇一」とあるので、「旦那様は一本気な方ですね」と申し上げたらビックリして、「名前だけでどうして判りますか?」というので、「姓名学の秘伝です」とお答えしたら、盛んに感心しておられました。

 そう言えば、「風水山道ブログ」山道帰一先生も、「風水バカ一代」と仰るくらい、一途で筋を曲げない方ですね。
 

※「紀香」の「いとへん」は良いことが長続きしない凶名

 「糸=いとへん」は、「十二長生」の「絶」に当たり、何でも「断絶」して長続きしない象意なのですね。
 しかし、良いことが長続きしないだけでなく、悪いことも長続きしないので、必ずしも結果が悪いとは限りません。ただ、「己」は胎児の象形と言われており、断絶と胎児を並べた「紀」という字は、姓名に使う場合、やはり凶意があるようです。
 「紀香」の「香」のほうは、非常に良い字形なので、残念なことです。

   
 姓名学には、「字画・字形・字音・字義」という四つの分野があり、その重要度は、一般の占い師の認識とは違い、「字義・字音・字形・字画」の順序だとのことです。


 今回の「子平・遁甲・姓名学講座」では、「奇門遁甲姓名学」と、特別秘伝の「字形姓名行運法」についても、解説されるそうですから、とても楽しみにしております。


[明澄透派・日本講座'9]

2009年5月30日(土)
紫薇斗数・超初級講座
2009年5月31日(日)
子平・遁甲・姓名学講座
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2009年7月25日(土)
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2009年7月26日(日)
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2009年8月29日(土)〜30日(日)
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| 五術 | 16:38 | comments(0) | trackbacks(0) |
紫薇の花が紫薇の郎に対す  
再び掛川掌瑛先生よりの寄稿です。


紫薇花 対 紫薇郎

 有名な白居易の詩、「紫薇花」です。

   紫薇花 
  糸綸閣下文書静   糸綸閣の下 文書静けく
  鐘鼓楼中刻漏長   鐘鼓楼中に刻漏長し
  独坐黄昏誰是伴   独り黄昏に坐すれば誰か是れ伴なうや 
  紫薇花対紫薇郎   紫薇の花が紫薇の郎に対す


 糸綸−王の言葉・詔。糸綸閣は中書省のこと。
 鐘鼓−時刻を告げるかね・たいこ、刻漏は水時計。
  対 −応対する、相手になってくれる。
紫薇郎−紫薇省の役人。



 唐の中書省に、紫薇の花が多く植えられたので「紫薇省」と呼ばれた、という説がありますが、実際には、開元元年(713年)に、中書省を「紫微省」と改めたと『新唐書』にあり、その五年後には、中書省に戻したと言います。
 白居易(772〜846)の時代は、そのはるか後の800年代前期ごろのことですが、「紫薇省」という名称が、通称として残っていたらしく、同じ唐の褚朝陽の詩にも、「中禁仙池越鳳凰,池辺詩客紫薇郎」とあります。
 また、杜牧(803〜853)の詩「贈別宣州崔群相公」には、「衰散相逢洛水辺、却思同在紫薇天」とあり、「紫薇」と「紫微」が混同されてきた例は、古くから数多いものです。
 さらに、『康煕字典』の「薇」の項には、『唐書·百官志』からの引用として、開元年間に中書省を「紫薇省」と改めたとしています。

【申集上】【艸字部】薇 ·康熙筆画:19 ·部外筆画:13《唐韻》《集韻》《正韻》𠀤無非切,音微。《玉篇》菜也。《說文》似藿菜之微者也。《詩·召南》言采其薇。《儀禮·公食大夫禮》鉶芼:牛藿、羊苦、豕薇皆有滑。 又白薇,藥名。 又蘼蕪,一名薇蕪。《張衡·南都賦》薇蕪蓀萇。 又花名。《拾遺記》元熙元年,詔民留獏皆植紫薇,以爲壓勝。《唐書·百官志》中書知制浩,開元號紫薇省 又薔薇,見薔字註。 又《唐韻》武悲切,音眉。《爾雅·釋草》薇垂水。《註》生於水邊。 又薇銜,藥名。 《集韻》或作𦵨。

 中には『新唐書』の表記を根拠に、「紫薇」と「紫微」の使い分けに拘る人もいるようですが、もしかしたら、『康煕字典』を見ていないのかも知れません。
 ただし、多くの中国人は、ほとんど区別なく、好きな方を使っています。

 「紫微」という言葉は、天文用語の「紫微垣」から出たものと思われますが、北宋時代に編纂された『新唐書』(1060年)以外に、「紫微」という文字を使った古典があるかというと、『史記』の「天官書」には、これらの用語はなく、「紫宮」という、少し範囲の異なる意味の用語しかありません。
 実際に、「紫微」という言葉が出てくるのは、隋の丹元子に依るとされる「歩天歌」ですが、南宋時代の『玉海』に収められたほか、それほど古い版本や資料が残っているわけではありません。


国立天文台図書室 第三十二回展示・中国の星座―歩天歌を中心に―
日本で作られた星座の基になったのが中国の星座である。西洋の星座は黄道座標で定められるが、中国の星座は赤道を基準とし、二十八宿上で位置が示されている。星座は、天子が地上で暮らしていたように、天上に昇っても同様な暮らしが出来るようにと創られ、名付けられている。

最初の中国星座はB.C.2世紀頃の前漢時代に書かれた史記の「天官書」に見られ、その後、甘徳(かんとく)(斉)、石申(せきしん)(魏)、坐威(ふかん)(殷時代)の三人によるそれぞれの星座が出来上がった。それらの星座は、A.D.310年頃、陳卓(ちんたく)(呉)によって集大成された。後世にこの陳卓の星座を詩に歌いこんだのが、『歩天歌』である。
中国の「歩天歌」に訓点を加えた和本。星図はない。
「歩天歌」は、隋の時代(A.D.6世紀末)に丹元子(たんげんし)が、星座、星を読み込んだ詩である。「歩天歌」では、天球上での星座の位置を紫微垣・太微垣・天市垣と二十八宿に分けられた赤道座標で示している。その後、中国の星座の位置はこの体系に習っている。

もともとの「歩天歌」は星座図はないようで、この本は図を付けて「新法歩天歌」としたのだろう。出版された年代は不明である。尚この本はその形態から朝鮮本の可能性が高い。


 上の説明にもあるように、そもそも、「紫微垣・太微垣・天市垣」、という名称は、天上界にも地上と同じように、天子の生活のための、花園や菜園や市場などがある、という思想に基づくものと、考えられます。「紫微垣・太微垣」とは地上で言うとどんな場所でしょうか?「天市垣」なら、文字通り「天の市場」と読めるでしょうから、「紫微垣・太微垣」も具体的な意味があてはめられないと、整合性が取れません。つまり「歩天歌」だって、最初は、「紫薇垣・太薇垣」などと書かれていたとしても、全然不思議はありません。
 また「歩天歌」には「少微」という星の名があり、「太微」と対応するかのようですが、「太微」は星座の位置や範囲を表わすもので、必ずしも対応する概念とは言えません。或いは、「少微」があるために、意味の違う「太薇」が「太微」になってしまったのかも知れません。

 特に、こういう学術的な分野で「歌」を作るのは、リズムに乗せて憶えやすくするためと、守秘のために出来るだけ書物を残さないのが目的と考えられます。つまり、発音さえ合っていれば、多少違う文字であっても復元が可能であり、あまり支障がないものです。初期の「歩天歌」に星座図がなかった、と言われるていることも頷けるでしょう。
 実際に、「紫薇垣・太薇垣」という記述は、「紫薇省」と同様に、中国の文献でも、少なからず見受けられるもので、「歩天歌」の「紫微垣・太微垣」という表記が誤記、乃至は略字であった可能性も否定はできません。

 もうひとつ、「歩天歌」の原文には、「三垣 中元北極紫微宮 北極五星在其中・・・」とあり、「紫微垣」はあっても、「紫微」という星の名称はありません。「紫薇垣」は、赤道座標で表わす、天球上の位置であって、星の名前ではないのです。
 中国で北極星を表わすのは「太乙星」であり、現在の小熊座α星(ポラリス)ではなく、小熊座のβ星(コカブ)を天球の中心と考えていたと言われます。つまり、「紫薇星」も「紫微星」も、正式に北極星を表わす用語ではなく、通称に過ぎません。
 
 北極星を「紫薇星」や「紫微星」と呼ぶようになったのは、いつ頃からの事かは分りません。あるいは、紫薇(紫微)斗数の成立以降、とも考えられます。
 唐代の作とされる『推背図』には、「紫薇星明」という表記がありますが、必ずしも「紫薇星が明るい」という、日本語的な読み方が通用するとは限らず、正しい漢文の読み方としては、「紫薇・星明」と区切って読まなければなりません。
 つまり、北極星など特定の星を指すとは限定できず、ただ「紫薇垣」あたりの星という意味にも取れます。
 なお、『推背図』が「偽書」だから字も間違っている、という考えは妥当なものではなく、『本草綱目』や、「平成」という年号の典拠とされる『尚書』なども偽書と言われていますし、諸葛亮や劉伯温などの名を冠した風水や五術関係の古典などは、ほとんどが偽書と考えられています。もちろん、陳希夷の作とする『紫微斗数全書』も偽書と言えます。 

 いずれにしろ、中国人による「紫薇」と「紫微」の混同や代用は、非常に頻繁(ひんぱん)で、中には「紫薇花」というべきところを「紫微花」と字を宛てている例さえ数多く見られます。

 まして造語である「紫薇斗数」が正しいか、「紫微斗数」が正しいか、などということは、誰にも断定できるわけもなく、現実にどちらの表記も使われてきたことが、文献上も証明されています。それに、発音が同じなら、他の字を代用で使う中国人の習慣からしても、気にするほうがどうかしているでしょう。

 門派の門人であれば、自分の属する門派のテキストに従うべきでなのは当然ですが、「紫薇」と「紫微」の違いは、専ら「文学的」な課題であり、他門派のことにまで口出しできるような問題ではありません。
 況してや、どこの門人でもない、「研究者」などと称する「門外漢」が、門派で伝承されたテキストに対し、ケチを付けるなどということは、到底許されるものではありません。




 やっぱり中国の学問は奥が深いですね。

 試しに、「紫薇花」と「紫微花」でグーグル検索をかけてみたら、何と「紫微花」の方が、多くヒットしました。
 中国では、「微」は「薇」の略字という感覚が強いのですね。
 

[明澄透派・日本講座'9]

2009年5月30日(土)
紫薇斗数・超初級講座
2009年5月31日(日)
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| 五術 | 22:21 | comments(0) | trackbacks(0) |
天上紫薇星,地上紫薇樹  紫薇は天上の星なのですね
 昨日の、掛川掌瑛先生の紫薇の記事は、衝撃的でしたね。

 掛川先生に教わった「紫薇星」に関するサイトから、心にとまったものを転載します。

「五月紫薇满树开」海南大学 Hainan University のサイト

 天上紫薇星,地上紫薇树。紫薇星是吉祥好运星,紫薇花则是绚美长寿花。在广袤肥沃的神州大地上土生土长的紫薇花,有着虽饱经岁月风霜、久历重重磨难而千年繁衍生生不息的中华民族奋发图强、顽强拼搏的昂扬斗志。

               紫薇花开

 天上サルスベリの星、地上サルスベリは植える。サルスベリの星は吉祥の盛運の星で、サルスベリ花則は絢の美しい長寿の花です。広い肥沃の神州大地のその地で生まれその地で育ったサルスベリの花、しかし歳月の辛酸をなめることがあって、1000年は息の中華民族は奮起して国家の富強をはかって生でないことが生い茂ってそれで重なり合った困難は経過して長くて、根強い力戦したあがる闘志。
(ヤフー翻訳)

 ちょっと変なところもありますが、おおよその意味は、分りますね。
 要するに、北極星は紫薇星。サルスベリ(百日紅)は紫薇樹、天上の紫薇と地上の紫薇、だったのですね。

 
 中國城市發展史(五):秦漢時期  作者:雅慧

 秦始皇統一中國,他深信天命風水之說,認為帝王所居之處和國家行政區的劃分應該與天象方位相符,才能使江山永固。秦朝的帝都及各地行政區就參照天體星象的位置規劃而來的。紫薇星(北極星)是天體中心,對應世間就是九五之尊的帝王,所以在天下之中建咸陽宮以對應天帝所居之紫薇宮;渭河貫穿都城以象徵銀河;後建阿房宮象徵離宮;天下分為36郡以象諸星宿;又將每年十月定為正月,因為此時天體運行的方位與地上的都城佈局完全吻合。

         咸陽宮一號宮殿復原圖

秦始皇は中国を統一して、彼は天命の風水の言うことを深く信じて、帝王が場所と国家の行政区の区別に位置して天象の方位と一致するべきだと思って、ようやく国家の永固を使用することができます。秦朝の帝都と各地の行政区は天体の星回りの位置の計画を参照して来ました。サルスベリの星(北極星)は天体センターで、世の中に対応するのは95尊重する帝王で、だから天下の中で天帝の位置したサルスベリの宮に対応します咸陽宮を建てます;渭河は銀河を象徴します都を貫きます;後阿房宮を建てて離宮を象徴します;天下は諸星座に似ています36郡に分けます;また毎年10月に正月に決めて、この時の天体の運行の方位と上の都の配置が完全に一致するためです。
(exite翻訳)



 紫薇は百日紅で、紫微が北極星、なんて誰が言い出したのでしょうね。
 
 紫微は、紫薇の草冠を略しただけで、意味に違いはなかったのですね。

 風水山道ブログ様によれば、レイモンド・ロー先生も、ご存知だったんですね。

 こんな馬鹿なことを言っていたのは、日本だけだった、ということです。 


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| 道教 | 10:07 | comments(1) | trackbacks(0) |
紫薇 vs 紫微 論争に決着! 北極星の名も「紫薇」
 5月30日の紫薇斗数・超初級講座のためのテキスト『明澄透派・紫薇斗数・命理大全』を執筆中の、掛川掌瑛先生より、お知らせをいただきました。
 『明澄透派・紫薇斗数・命理大全』はすでに書き上げられ、現在は校正中とのことです。
 また、100年間の紫薇在支を2時間ごとにすべて表示した『紫薇万時暦』、さらに、紫薇星の配置と点数を80%まで完成させた、『紫薇斗数12×12』も同時に終了された由で、いよいよ講座が楽しみです。

 また今回、「紫薇」と「紫微」の論争についても、本の中で言及・論証されたとのことで、今まで知られていなかった事実が明らかにされました。
 まずは、次の画像をご覧ください。続いて、掛川掌瑛先生の説明をそのまま掲載します。




 
これは、『推背圖』という、唐の李淳風という人が書いたということになっている、予言書の一部です。もちろん、公には偽書と認定されていますが、相当に古い書物である事は間違いありません。
 日本でも、解説書が出版されていますから、ご存知の方も多いでしょう。

 ところが問題は、この第四十七象の原文です。「紫薇星明」とあり、北極星を意味する「紫薇」の星が明るく輝けば、という文言があります。ご覧の通り、「紫微」ではなく「紫薇」と書かれています。

 これまで、「紫微」を名乗り、明澄透派の「紫薇」を批判してきた人たちは、「紫薇」は植物の名前であり、「紫微」こそが実在する北極星の別名である。よって「紫微」が正しく「紫薇」は間違いである、だから、明澄透派の節月を使う「紫薇斗数」は間違っている、と主張してきました。

 しかし、この論は、根本的に間違っています。古来より北極星の名称も「紫薇」と書かれており、むしろ「紫微」と書かれたもののほうが誤記の可能性があります。
 つまり「紫薇」とは本来植物の名称ですが、高貴な星の名前に、高貴な植物の名を借りてつけた、と考えたほうが、意味の分からない「紫微」などという名称よりも、はるかに相応しい名前というべきです。
 もともと中国人は、文字に関して、発音が同じなら、細かいことには拘らないところがあり、難しい字を簡単な字で代用することがよくありますから、「薇」の草冠くらい省略することがあっても、不思議はありません。
 現に、グーグルなどで検索して見れば、「紫薇」でも「紫微」でも、多くの繁体字サイトがヒットします。

 今回、『明澄透派・紫薇斗数・命理大全』の執筆に当たり、出会った、新しい発見の一つを、講義に先駆けてお知らせします。


 


 それにしても、「紫微」と「紫薇」の論争、といっても、勝手に「紫微」の側が、「紫薇」は植物の名前で、「紫微」は北極星だから「紫微」が正しい、と言ってきたのに、何ということでしょう!
 でもこれで、無意味な論争(言いがかり?)に決着がついたようですね。




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| 五術 | 23:59 | comments(2) | trackbacks(0) |
守護仏2 釈迦如来の個性 皇后陛下
  第三章  守護仏の個性と開運法

 ご自分の守護仏が分かった方は、それぞれの守護仏の説明に進んでください。その人の守護仏には、それぞれの仏様としての個性があり、その人の持つ基本的な性格を決定します。
 私たちは、日常的に、できるだけ守護仏の個性に近づくように行動すれば、他人から見て、自然と魅力的に映るようになります。
 なぜなら、私たち本来の飾らない姿は、守護仏の個性と一致するもので、あらゆる行動は、何の無理もなく自然と振る舞えるものだからなのです。
 ところが、生まれたときに守護仏から授かった自分本来の個性は、いつの間にか変化させられてしまい、守護仏の個性とずいぶん違ってしまう場合があります。
 これは、育った環境や生活、受けた教育と学習、などの「経験」によって歪められたもので、そうなってしまいますと、その人のあらゆる行動は、何となく似合わない、無理のあるものになり、他人の目から見て、ぜんぜん魅力を感じさせません。
 この本を読む方の多くは、すでに成人されておられるか、義務教育は終えているでしょうから、もうすでに、本来あるべき守護仏の個性を、堅い心のカラで閉じ込めてしまっているかも知れません。
 しかし、ご自分の守護仏を知った今日この時からは、生活の中の行動を、できるだけ守護仏の個性に合わせ、一致するように振る舞わなければなりません。
 それぞれの守護仏のページには、守護仏の個性に基づく生活の指針、他の守護仏との相性による処世の方法、幸運を呼ぶ色彩と宝石、座騎すなわち乗物の選び方、特に乗用車を選ぶ方法、などが記されています。
 守護色や、守護宝石を使う場合、ただ持っているだけでなく、普段から、あるいはここぞと言うときに身に付けるようにしますと、自分の魅力を増し、人々から人気を集めるようになります。特に宝石は、「開光点眼」すなわち入魂したものを持ちますと、素晴らしい効果が発揮されます。
 座騎とは、仏様の乗物のことで、これによって乗物を選びますと、安全で移動の効率が良くなり、特に守護仏のイメージに合った乗用車を乗り回しますと、非常に魅力を感じさせるようになります。
    
   A、釈迦如来  高貴と品位

 釈迦如来とは、もちろん、仏教の開祖お釈迦様のことで、正式には釈迦牟尼如来と言われます。
 お釈迦様は、小国ながら、国王の息子に生まれ、皇太子という高い身分でありながら、王宮を抜けだして出家し、「悟り」を開いて仏陀となりました。
 このような、釈迦如来の個性は、「高貴」と「品位」というキーワードで表現されます。
 釈迦如来を守護仏に持つ人は、ちょっとお高く止まっていると言われるくらいに、上品な感じを出し、うまく品位を保つように心がけます。
 いつも、物静かに正しく行動し、秩序よく順序どおりに仕事や役目につき、身辺をきれいにして、他人に頼らず、自分で自分を高めてゆきます。
 釈迦如来のイメージは、高貴と品位ですから、最も恐れることは、低俗さと品位のなさ、ということになります。
 お釈迦様は王子として生まれながら、王宮を棄てて出家した方ですから、釈迦如来のイメージは、高貴と言っても、贅沢な生活などとは無縁であり、仕事の上でも、クリーンなイメージが必要です
 いつも身ぎれいにして、汚職や馴れ合い、賭博、いじめ、など、品位を汚すことや、低俗なことに手を染めてはいけません。また、ガツガツした態度は足下を見られ、あまり下手に出ると逆効果になります。
 こちらの立場が悪い場合でもプライドを保ち、弱みを見せてはいけません。
 恋愛や交際の上でも同様で、相手の機嫌をとったり、何でも言いなりになったり、歯の浮くようなお世辞を言ったりすることは、かえて自分の魅力を失って失敗することになります。
 釈迦如来を守護仏に持つ人の代表と言えば、皇后陛下美智子様(1934年10月20日午前8時ご出生)が、まず筆頭に上げられます。高貴で上品で、行動は物静かで正しく、低俗さや下品なこととは縁がありません。
 民間から皇室に入られたため、宮中では、ひどいいじめにあったそうですが、宮中の人々から見れば、民間人が、自分たちよりも高貴な存在とは、なかなか理解できなかったのでしょう。
 皇后陛下は、持って生まれた個性に忠実な行動を貫かれ、絶対に妥協したりせず、子育てなどでご自分の方針を貫き通したのは、たいへん有名な話です。
 現在の「開かれた皇室」というイメージ作りに大きく貢献され、国民から尊敬と人気を集めておられます。
 皇后陛下が、ご自分の守護仏をご存じだったとは思えませんが、その行動のありかたが、釈迦如来の個性そのものだったことは間違いありません。

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| 守護仏 | 07:08 | comments(0) | trackbacks(0) |
守護仏1−守護仏による救済
 ここでご紹介する「守護仏」とは、正しくは「如来蔵」というもので、2世紀ごろのインドで生まれた考え方です。

 人間には、誰でも生まれつき仏様の種(仏胎)が宿っており、人間がよろいのように身に付けてしまった心のカラを破り、本来のあるべき姿に立ちもどれば、その仏様と一体になることができます。
 仏様と一体になれた人は、仏様から守られて、あらゆる苦しみから救われるばかりではなく、他の人々をも苦しみから救うようになります。
 すると、その人は、人々に素晴らしい魅力を感じさせ、尊敬や人気を集めて、社会生活、学問、恋愛、家庭生活など、全てが順調になり、望むとおりの人生を過ごすとができます。
 このような状態は「悟り」とも呼ばれ、本来は、出家して、学問と修行の果てに、限られた人だけが、ようやく得られるものでした。
 そこまでの境地には達しなくても、自分の守護仏がどんな仏様なのかを知り、その仏様のスタイルに少しずつ近づいて行くだけでも、守護仏の加護は得られるのです。

 インドで生まれた「如来蔵」はチベットに伝わり、どの人にどの仏様が宿っているのかを見極めることによって修行に役立てるようになります。
 最初は、高僧が弟子のひとりひとりを観察して、守護仏を決めていましたが、やがて、人の生まれた時間によって守護仏が決まることが分かって来ました。
 これにより、必ずしも出家して修行しなくても、自分で自分の守護仏を知り、守護仏に近づくことが可能になりました。
 生年月日と生まれた時間が分かれば、守護仏も分かるのですが、それには、暦学に基づいた少々複雑な計算が必要になり、一般の方には、なかなか面倒なものです。
 この本では、生年月日と生まれた時間だけで守護仏を読み取ることができる、世界初の画期的な早見表を巻末に収録しており、この本を手にしたその日から、誰でもすぐに自分の守護仏を知ることができ、仏様と一体になる道を歩めるようになります。 

   
  第一章 苦しみからの解放
  
 人間が生きて行くということは、苦しみばかりがつきまとうもので、仏教の生みの親であるお釈迦様は、「一切は皆『苦』である」とおっしゃり、次の八種類の「苦」があるとされました。

 1、生まれるときの苦しみ
 2、老いてゆく苦しみ
 3、病気の苦しみ
 4、死から逃れられない苦しみ
 5、愛しいものといつか必ず別れなければならない苦しみ
 6、嫌いな人とも関わらなければならない苦しみ
 7、欲しいものが手に入らない苦しみ
 8、心身の働きが活発であるための苦しみ

 このような苦しみから逃れるために、いったどうしたら良いのでしょうか?
 お釈迦様の「一切は皆『苦』である」と言う宣告は、まるで突き放されているように思えますが、実は、これを理解することこそが、あらゆる苦しみから救われる唯一の方法なのです。


 1、生まれるときの苦しみ(生苦)

 これは、胎児が母の産道を通るときの苦しみと言われておりますが、見ている人からそう見えるだけで、ものごころついた後の本人には記憶がないことです。
 このように、自分では記憶にないことなのに、人から話を聞いたりして、痛みや責任を感じて苦しむことがあります。
 むしろ「産みの苦しみ」などと言われるように、産んだ母親のほうがよほど苦しいのですが、苦しむほどに喜びも大きいものがあり、我が子に対する愛情も、より強いものになります。


 2、老いてゆく苦しみ(老苦)

 老人が大切にされない社会では、確かに苦になりますが、自分たちが若いとき、老人を大切にしなかった報いですから、仕方がありません。自分は大切にしたつもりだと言うかも知れませんが、自分たちが属している社会全体の風潮がそうなっているのは、やはり自分の責任です。
 それでも、医療費が安い、シルバーシートに座れる、もしかしたら年金が貰えるかも知れない、など、少しは良いこともないわけではありません。
 現代の日本では、年寄りを大切にしなくなった、と言われますが、制度だけで見たら昔よりもずっと、年寄りは大切にされています。ただ、制度ばかりで、尊敬の気持ちがなくなってしまいましたから、老人としては、プライドが保てません。
 老いても尊敬されるような人になることも大事なことで、そのような人には、老いの苦しみなど感じられません。


 3、病気の苦しみ(病苦)

 病気は、もちろん嫌なことですが、病気であることが認められれば、なまけものなどと思われずに堂々と休養が取れる、保険金が給付される、自分の苦しみが他人にもある程度理解してもらえる、などの良いこともないわけではありません。
 わざわざ仮病を使って、休んだり、同情を買ったり、不正に保険を請求したりする人もいるくらいですから、病気と言うのもある種の特権と言えないこともありません。
 病気なのに、病気であることを認められないと、ただ苦しいだけで、誰にも理解されず、保険も適用されない、というような事があります。
 逆に、ライ病やエイズなどに認定されますと、不当な差別によって、さらに苦しみがひどくなる場合もあります。
 病気に対して無知や偏見、悪意などを持つ人は、他人を苦しめて、自分も救われません。救われるためには、病気に対する正しい知識を持つことが是非必要です。


 4、死から逃れられない苦しみ(死苦)

 人間ばかりでなく、あらゆる生物は、死から逃れることができません。だれもが知っていることなのですが、ひどく死を恐れる人がいるかと思うと、あべこべに、自分から死を選んだり、全く危険をかえりみない人もいます。
 普通、自殺や自殺行為は、良くないこととされておりますが、何かの目的のため、自ら犠牲になって死ぬ人は、賞賛を浴びたりもします。
 また、レーサー、登山家、消防士、軍人、などの職業の人は、あまり死を恐れない傾向にあります。もちろん、死を恐れていたらつとまらない仕事ではありますが、死の危険や恐怖に挑むことで、ある種の充実感も得られるようです。
 ただ、実態はわかりませんが、賞金目当てとされる自爆テロや、保険金目当ての自殺などは、家族のためとは言え、どうしたって幸福なこととは思えません。
 最近、自殺が増えたり、テロや未成年による凶悪な事件などがいくつか報じられ、人の命を大切にしなくなったなどと言われておりますが、戦前などに比べて、現在のほうが、はるかに人命を大事にするようになっています。
 戦後日本は、憲法上戦争はできないことになっていますから、今のところ戦争による犠牲者は出ていませんし、改憲したとしても「国のために戦死することが最大の名誉」というような考え方が復活するとも思えません。
 交通事故死だって、一時は毎年1万人を超えていたのに、近頃はかなり抑制されています。これは、救急救命の改善や、シートベルト、エアバッグ、安全ボディーなどの対策が効果を上げているためで、人命尊重は建て前ばかりではありません。
 それでも、命を大切にしなくなったというのは、子供が子供を殺したり、イラクで人質が殺されたり、むごたらしい事件のたびに言われます。
 問題にされるのは、人命尊重の意識が強いからですが、スチュワーデスができる救命措置を医師会が既得権を主張して救急救命士にやらせない、サラ金ヤミ金融が多数の借り手を自殺に追い込んでも、業界から献金を受けている国会議員が反対して徹底した規制ができない、などのように、利害がからむ事や、戦争などということになると、急に人命が軽くなることもあります。
 いずれにしろ、人間は、誰でも必ずいつかは死ぬと決まっているのですから、それほど死を恐れる必要はないし、自分から進んで死んでしまうこともありません。
 守護仏と一体になれた人は、肉体が滅んだ後も守護仏と一体ですから、もちろん、死を恐れることなどありません。


 5、愛しいものといつか必ず別れなければならない苦しみ(愛別離苦)

 これには自分が死ぬことによって別れることも含まれますから、やはり逃れる方法はありません。それで、お釈迦様は「愛」を否定し、あらゆるものに執着を持たないことで救われる、とされましたが、考えてみれば、愛しいものがあってこそ人生を楽しめるもので、本当に愛しいからこそ、失う時の苦しみも大きくなってしまいます。
 最近では、犬や猫などのペットを亡くした人が、我が子を失ったように嘆き悲しんで、それこそ病気になってしまったりしますが、普通、ペットにするような動物は、人間よりずっと寿命が短く、自分より先に死なれるのは自然のなりゆきで、最初から覚悟しておけば、それほどの苦しみにはならなかったはずです。
 ペットに限らず、どんなものでも、死んだり、壊れたりすることからは逃れられませんから、自分の産んだ子供は、自分よりは長生きできるはず、だとか、30才も年下の妻なら必ず自分より後で死ぬ、などという保証もありません。自分だって、あと何年は大丈夫などと思っても、明日のことは分かりません。
 別れはいつかやって来ますが、愛しいものは大いに愛し、可愛がり、大切にして、思い切り「愛」を楽しんで、しかしいつか必ず失うことも覚悟しておけば、失ったときの悲しみはずっと小さなものになり、良い思い出だけが残るようになります。


 6、嫌いな人とも関わらなければならない苦しみ(怨憎会苦)

 対人関係の問題は、近年特に深刻で、大人ばかりか、こどもの世界でも、いじめによる自殺があったり、小学生の女児が同級生を殺害するなど、年齢を問わず、広い範囲で社会問題化しています。
 映画評論家の故淀川長治さんは、生前『私は嫌いな人に会ったことがない』という著書を出しておられました。
 つまり、誰でも良いところがあるのだから、嫌わずに好きになったら良い、と言う趣旨の本なのですが、本当に淀川さんは、嫌いな人には会わなかったと言います。つまりこの人には会いたくないと思ったら、面会、対談など、断っていたそうです。
 淀川さんのように、チャップリンとも親交のあった映画界の権威で、つきあう相手も選べる人は良いのですが、普通はなかなかそういうわけには行きません。
 淀川さんだって、若いころには、嫌いな人とでも付き合い、こんな良いところもあるじゃないか、などと考えて、心のバランスをとっていたのでしょう。そうでなければ、あれほどの大家にはなれなかったはずです。
 私たちが他人に対して「好き」とか「嫌い」とか感じるのは、ほとんどが顔の印象から来るもので、それも第一印象が決定的だと言います。これは人間に特有の習性で、生まれたばかりの赤ちゃんが、母親を認識するとき、まだ良く見えない目なのに、ちゃんと顔で母親を見分けることができ、同じように、赤ちゃんにとって心地よい人と不快な人は、顔で見分けられ、記憶されてゆきます。すると、その時に、良い印象を与えた人の顔は「好き」なタイプとして記憶され、悪い印象を与えた人の顔は「嫌い」なタイプとして記憶されます。よく、男性は、母親に似た女性を好きになる、と言いますが、そのような人が特にマザコンというわけではなく、これも赤ちゃんの時の記憶から来るものと思われます。
 つまり私たちが、人の顔をみただけで、「好き」と感じたり「嫌い」と感じたりしてしまうのは、まだ赤ちゃんの心が残っているせいで、本当に、自分にとって利益のある人を好み、害のある人を嫌っているわけではありません。
 こちらが相手を嫌えば、自然と相手もこちらを嫌うようになり、そしてもしそれが、職場で毎日付き合わなければならない相手だとすると、その職場はひどく居づらい場所になってしまいます。
 もともと「一切は皆『苦』である」のに、わざわざ苦のタネを増やしているのが人間なのですが「好き」「嫌い」などという感情は、赤ちゃんの心から来ているのだと知れば、何もそんな事のために人生を苦しくすることはない、ということに気付くでしょう。
 逆に、相手から一方的に嫌われた場合でも、まだ赤ちゃんなんだなあ、と思えばそれほど腹も立たないでしょう。
 「嫌い」という感情の原因は、右のようなことのほかにも、もっと色々あるでしょうが、決して合理的なものではないことには間違いありません。
 この苦しみから逃れるには、「嫌い」という感情を持たないようにするのが一番安上がりですが、できなかったら、嫌いな人と会わなくてすむような環境を整えなくてはなりません。するとかなりの財力や地位などが必要になりますが、嫌いな相手でも、平気な顔で付き合えるような人でなければ、地位も財力もとうてい望めません。


 7、欲しいものが手に入らない苦しみ(求不得苦)

 ブランド品が欲しい、宝石が欲しい、家が欲しい、車が欲しい、異性が欲しい、こどもが欲しい、等々、きりがないものですが、手に入らないものほど欲しくなるものです。
 特に異性などは、どうすれば手に入れたことになるのでしょうか?結婚して籍を入れたら手に入ったことになるのでしょうか?中には、相手の了承もなく、勝手に役所に行って婚姻届けを出してしまう人がいるそうですが、それで満足できるわけもありせん。
 もっとひどいのは、少女を誘拐して、十年近くも自宅に監禁していた事件がありましたが、とうてい少女を手に入れたという満足感など得られるわけもなく、むしろ、発見されて捕まることを恐れ、少女が自分を好きにならないことに苛立ち、同居していた母親との関係はますます悪くなり、捕まってからはもちろん、捕まる前の十年間も、実際にはひどい苦しみだったはずです。
 こどもが欲しくて、人身売買まがいのことをする人もいますが、実の親だってこどもを所有しているわけではなく、愛しむことによって幸福感を得られるのですが、愛しむものは、いつか必ず失うことを覚悟しなければなりません。
 お金や物品なら、確かに手に入りそうですが、簡単に手に入るものでは、手に入れたときの満足感も小さくなり、手に入れることが難しいものほど、手に入ったときの満足感も大きいはずですから、手に入らないものばかり欲しがるようになり、苦しみを招くのです。
 この苦しみから逃れるには、手に入らないものは欲しがらないようにすることが一番ですが、何とか手に入りそうなもので、どうしても欲しいものがあったら、計画を立てて、手に入れるまでのプロセスを楽しむようにすれば、手に入らない場合でもそれほど苦にはならないものです。
 たとえば、宝くじで3億円くらい当てたいと思ったら、どこの売り場で買うと当たりやすいとか、統計学的にどんな数字が出やすいとか、徹底的に研究して、できるだけ少ない投資で買い続けるようにします。これなら1万円くらいの当たりでも取れれば、ずいぶんと楽しむことができるでしょうし、間違って大金が当たらないとも限りません。


 8、心身の働きが活発であるための苦しみ(五蘊盛苦)

 肉体が健康なほど生理的な欲求が強くなり、満たされないものも多くなってしまいます。
 視覚が良い人ほど、見たくないものも見えてしまいます。
 聴覚が良い人ほど、聞きたくないものも聞こえてしまいます。
 嗅覚が良い人ほど、嫌な匂いに悩まされます。
 味覚が良い人ほど、まずい食物に悩まされます。
 触覚が良い人ほど、手触りや肌触りの悪いものに悩まされます。
 イメージが豊かな人ほど、いやなイメージに悩まされます。
 行動力がある人ほど、何かの決断を迫られます。
 意識や認識を持っていれば記憶も残り、いやな記憶だけを消すこともできず、どうしてもなんらかのトラウマに悩みがちです。
 これらは、結局、健康だとか、感覚が敏感だとか、良いことの裏返しとしての悪いことばかりですから、良い面をだけを楽しむようにすれば、何とか我慢できるものです。
 例えば、味覚が良いほど、まずい食べ物に悩まされ、味覚が鈍感な人ほど、まずいものでも平気で食べられるのですが、味覚が良いほど、ほんとうに美味しいものを味わうことができますし、わずかな味の変化に気がついて、食中毒などを避けることもできるかも知れません。


 以上のように「苦」というものは、人間の生活に付いて回るものですが、「一切は皆『苦』である」ことを知っていれば、いくらでも避ける方法はあり、正しい知識によって、苦にもならないようになります。
 ところが、知っているのにそのようにできないのが人間というもので、いつかは失うとわかっているのに、愛しいものにのめりこみ、手に入らないとわかっているのに、欲しがっては苦しむ。などいうことを繰り返しています。
 ならば、知っているとおりに行動ができれば、苦しみなどというものは何もなくなるのではないでしょうか。

 そこで、お釈迦様が提唱したのが「悟り」というものです。「悟り」とはひどく難しいもののように感じられますが、実は、ただ「知っているとおりに行動する」と言う、至ってかんたんなことで、人間以外の動物は、初めから知っているとおりにしか行動ができませんから、人間のような悩みは持たないものです。つまり生まれつき悟っているのです。
 ところが、人間の持っている知識や情報と言うものは、動物などとは比べものにならないほど膨大なものです。逆に言うと、動物の持っている知識は、生きて行くのに最低限必要な知識だけで、余計な知識というものは何もありません。だから、知っているとおりにしか行動できない、とも言えるでしょう。

 お釈迦様は、ネパールに近いインドの小国の王子として生まれ、なにひとつ不自由のない王宮で育った、ということになっていますが、現代の学者の研究では、本当はあまり裕福な王室ではなかったようです。十六才で迎えたお妃との間に一子をもうけた他に、三人の妃がいたとも言います。
 その後、お釈迦様は、城を抜け出して修行の生活に身を投ずるようになりますが、その原因となったのは、城の四方の門から外出しようとして、老人、病人、死人、出家者に遭遇し、自分の進むべき道を直感したと言われています。
 案外、継母やお妃とうまく行かなかったり、王室の内情が火の車だったのかも知れませんが、苦しみからの脱却が目的だったことは間違いありません。
 出家したお釈迦様は、六年間にわたって、非常に苦しい修行を続け、ついに倒れたところに通りかかった村娘=スジャータのくれた、乳のおかゆで命が助かり、この時「なんだこんなに苦しかった修行よりも、一杯のおかゆのほうがはるかに素晴らしく、私の命を救ったではないか」と瞬間に「悟り」を開き、「仏陀」になりました。
 「悟り」を開いたお釈迦様は、さらに瞑想を続け、「悟り」は苦行で得られるものではなく、瞑想によって、ある瞬間に得られることに気付きます。
 よく、お釈迦様は生まれつきの貴種で、白象の夢を見て妊娠した母親のわきの下から生まれ、生まれたとたんに七歩歩いて上下を指差し「天上天下唯我独尊」と言った、ということになっていますが、本当は、ごく普通の悩める青年が「悟り」を開いて「仏陀」になれたことにこそ、仏教の素晴らしさがあるのです。

 こうして、「悟り」という究極のノウハウを持つ仏教は、世界の三大宗教と言われるほどに普及するようになりましたが、一般の人にとって、出家・修行して「悟り」を開くということは、とても容易なものではありませんし、出家したからといって、誰でも「悟り」を開けるわけでもありません。

 はじめにお話ししたように、「守護仏」または「如来蔵」という考え方は、どんな人でも、心のなかには仏の種(仏胎)が宿っており、仏の種を覆い隠しているカラを取り除いてやれば、誰でも仏と一体になれる、というものです。
 自分の守護仏を知り、信仰と意志によって仏と一体になるということは、つまり知っているとおりに行動できるということになりますから、「悟り」を開いて仏になることとまったく同じ意味になります。
 もちろん、「守護仏」と一体になるためには、修行が必要ですが、本来あるべき自分の姿にもどるだけで、そのモデルもはっきりしていますから、瞑想によって「悟り」を開くことと比べますと、はるかに楽な修行と言えます。
 なぜなら「悟り」は、ある瞬間に得られるもので、いくら瞑想を続けても、いったい、いつになったら悟れるのかわかりませんし、悟る前の人はいつまでたってもただの人で、半分は悟ったとかいうことはありません。お釈迦様だって、悟りを開くまでは、ただの悩み多き青年だったのですから。

 悟った人は、社会生活にも順応でき、自然と人々の尊敬や人気を得られ、出家をやめても困ることもありませんが、まだ悟れない人は、出家をやめたら社会生活が困難なことになりがちです。
 それに対し、自分の「守護仏」を知っていれば、守護仏と一体になれるまで待っていなくても、その仏様の性格や特長に従い、スタイルをまねて生活しているだけで、人々に魅力を感じさせ、対人関係がよくなり、仕事や学業がうまく行くようになります。つまり信仰さえあれば、出家する必要もありません。



 第二章 自分の守護仏を知る


 守護仏は、大きく、次の三種類に分けられます。

     如来
     菩薩
     明王

 如来は、仏の道をすべて完成し、真理そのものを代表する、次の六柱の仏様です。

     釈迦如来
     成就如来
     大日如来
     宝生如来
     阿弥陀如来
     薬師如来 

 菩薩は、仏の道を歩み、他人も一緒に仏の道に導こうとする、次の八柱の仏様です。

     観音菩薩
     地蔵菩薩
     金剛菩薩
     虚空菩薩
     文殊菩薩
     普賢菩薩
     勢至菩薩
     弥勒菩薩

 明王は、如来や菩薩を助け、その代理をつとめる、次の五柱の仏様です。

     不動明王
     孔雀明王
     軍荼明王
     愛染明王
     三世明王

 誰でも必ず、これら十九柱の仏様のどれかが、その人の守護仏に該当します。これらの仏様は、違う名称で呼ばれることがありますが、ここでは、より一般的と思える名前に統一してみました。
 次に、自分の守護仏が、このなかのどの仏様であるかを知らなければなりません。



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| 守護仏 | 19:01 | comments(33) | trackbacks(0) |
守護仏7 薬師如来の個性 小沢一郎
   F、薬師如来  理性と厳粛

 薬師如来は、正式には、薬師瑠璃如来と言われ、阿閦(あしゅく)如来、不動如来、などの別称で呼ばれます。密教五方仏のなかの東方仏であり、東方妙喜世界をつかさどり、金剛界曼陀羅では、下側に描かれております。
 薬師如来の個性は、「理性」と「厳粛」というキーワードで表現され、日頃から、理性を働かせ、何事も冷静に、考えて行動し、自分に厳しく、他人にも安易な妥協をせず、ものごとに対して、厳しく対処しなければなりせません。
 もしも、薬師如来の人が、感情的、妥協的、衝動的、と受け取られるような態度をとりますと、イメージが悪くなり、魅力を失って、他人から軽蔑されるようになります。 つまり、どんな場合でも、あわてたり、興奮したり、やたらに融通をきかせたりしてはいけません。
 こういう態度を貫くためには、まず、主張することに筋が通っていなければなりません。さもないと、ただのごり押しと見られてしまいます。つまり、常に「理性」をもって、冷静に物事を判断しないと、厳しさにはつながりません。


 小沢一郎氏(1942年5月24日14時生まれ)は、政界でも非常に厳しい人とされ、妥協しないことで知られています。
 他人ばかりか自分にも厳しく、海部辞職後の首相に指名されますが、健康不安もあって辞退、最近も、年金未納問題を理由に、民主党代表就任を、一度は辞退するなど、望めば手に入るトップの座になかなか就こうとしません。
 日本の政界では唯一の、ビジョンを持った政治家として知られ、小選挙区制、副大臣制、有事法制、消費税の福祉目的税化、地方分権、規制緩和、官僚支配から政治主導への転換、集団的自衛権、海外派兵など、今日の課題のほとんどは十年以上前に、小沢一郎氏によって提案されたものです。
 細川政権の時に、小沢主導で打ち出された「国民福祉税構想」は、年金破綻が現実になった今になってみれば、あの時やっておけばと思える制度でしたが、当時は説明不足のために、マスコミのバッシングを受けて、葬られました。
 その一方、「豪腕」などと揶揄され、新党を作ってはつぶし、連立政権を組んでは解消する、分かり難さが、薬師如来の個性である「理性」のイメージとは、離れてしまっています。
 小沢一郎氏が、もっと薬師如来のあるべき個性を発揮し、誰が見ても理性的と思えるように、分かりやすくその政策を説明し、より厳しく、そのビジョンを現実化して来れば、今日の、日本の混迷はなかったかも知れません。

 薬師如来を守護仏とする人は、仕事のときでも、やたらに頭を下げたり、腰を低くするのではなく、冷静に物事を判断し、有利不利を問わず、厳しく取り決めを実行します。
 こちらの立場が弱い場合でも、きちんと筋が通っていれば、普段からきちんと取り決めを実行しているので、無理を通すことができます。

 恋愛や交際の場合でも「理性」と「厳粛」のイメージを通し、相手をしっかりと見守ります。そして、トラブルに遭ってもあわてない、自分の考えがはっきりしている、相手の意見を理性的に受け入れる、ことが大切です。
 あまり、ムードがない、と心配するかも知れませんが、薬師如来の人に限っては、これが最善の方法で、しっかりと、自分の魅力を相手に感じさせることができます。


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| 守護仏 | 17:51 | comments(1) | trackbacks(0) |
豪胆!<とくらたかこ>は「飛鳥跌穴」の大吉名
4月1日付け朝日新聞の朝刊に、立花隆氏による「民主代表のまま 裁判を続けるのか 師から何を学んだ」という記事が掲載されています。
 立花隆氏と言えば、事実上、田中角栄首相を辞任に追い込んだジャーナリストですが、この記事を読むと、「立花隆はロッキード事件から何を学んだ」と言いたい様な内容です。
 たとえば、田中角栄氏が逮捕されたとき、ただちに離党届を書いたことをひどく評価していますが、このときの田中氏は、すでに総理大臣も自民党総裁も辞任して一与党議員になっており、離党しようがしまいが実際には大した影響があったわけではありません。ただ、言われる前に自分から離党してしまえ、というくらいのことです。
 それに比べて小沢氏の場合は、自分が逮捕された訳ではなく、秘書の逮捕、それも非常に不当性が疑われているものです。
 現に立花氏の記事のとなりに掲載されている元東京地検特捜部長である宗像紀夫氏のインタビュー記事には「捜査方法も着手時期も疑問多い」「特捜の体質変容を危惧」との見出しがあり、また「帝人事件」を例に引いて、「検察はいつでもどんな事件でもやれるということになったら、『検察国家』になってしまいます」と結んでいます。
 元検事からの地検批判は、宗像氏ばかりではなく、元東京地検特捜部の郷原信郎氏などは、事件当初から今回の秘書逮捕に疑問を呈しています。

 立花氏の記事に比べて優れていると思われるものを挙げると、

 田中良紹氏の「国会探検」

 植草一秀の『知られざる真実』

 文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ 『毒蛇山荘日記』

 その他多数がありますが、新党日本の田中康夫氏が日刊ゲンダイ連載の「奇っ怪ニッポン」
「この胆力の違いは何なのか」という記事で、小沢氏の発言に「胆力」の違いを痛感すると書いています。その発言とは、

 私の政治家としての生涯かけての大目標は、ひとつは官僚主導の政治行政を国民主導の、国民の側に立った政治行政に改めると。それがひとつ。それからもうひとつは、日本に真の議会制民主主義を早く定着させなければいけないと。このふたつを実現するには、政権を代える以外ない。それが私の政治家としての生涯の大目標であり、夢であり、使命である。私個人うんぬんの問題ではない。その大いなる目標を達成したい。何としても実現したい。
 世界的な激変が予想される今日の中で、1日も早く議会制民主主義を日本の社会に定着させる。その為には総選挙で勝利を得なければなりません。私の今後の行動の基準は、飽く迄もその点に於いて、物差しをそこに於いて判断したいと。そう思っております。

 
というものです。
 「理性と厳粛」を旨とする「薬師如来」の個性が全面に出ており、いくら、政府官僚検察マスコミが、小沢氏を世論誘導で辞任に追い込もうとしても、逆に今回の件で小沢ファンになったという人も多く、そう簡単にはしてやられないでしょう。

 代表に比べると、民主党の国会議員たちの「胆力」はまるで見られず、大谷昭弘氏にまで「ずるい検察、とち狂った民主」などと揶揄される始末です。大谷氏もテレビでそれくらい言ってもらいたいものですが。
 民主党議員のなかで蓮舫さんなど、好感を持っていたのでがっかりです。実は前原の仲間だったのですね。


 そんななかで、あの山口4区安倍晋三の選挙区でがんばっている、「とくらブログ」で有名な戸倉多香子さんが「胆力」を見せてくれています。

 「小沢さんひとりの闘い」ではない、民主党全体の問題だと思う。

  夜中にあった『朝まで生テレビ』は多くの方が見ておられたようですが・・・、「小沢さんの秘書逮捕事件についての検察の態度は許せない、だから小沢さんは徹底的に闘えばよい、それについては応援もする、だけど、これは小沢さんひとりの問題だ、民主党を巻き込むべきではない。」というような議論がされていました。思わず、何言ってるんだー!小沢さんの秘書がなぜ逮捕までされているのか考えろー!民主党の党首だからでしょー!これは、民主党への攻撃なのだ。民主党全体の問題なのだ。小沢さんひとりの闘いではない。こんな不公正、不条理なことを許して、政権交代を実現できるのかー!とひとりで怒っていました。
 でも、最後に発表された電話アンケートの結果は、なんと 小沢党首続投支持が66%、支持しないが32%でした。民主党の議員さんもポカンとされていました。あれだけ、「検察はおかしいが、政権交代のためには小沢さんは辞任すべき。」という議論でかためた後の結果だったのに・・・、国民は冷静でかしこいと思いました。田原さんは、郷原さんの説明のおかげだな、とかなんとか言われていました。翌朝のテレビでも、テレビ朝日の川村さんが、検察のおかしさを丁寧に説明した後の結果は・・・、という言い方で紹介されていました。でも、私は、本当に国民はよく見ていると思うのです。




 小沢秘書逮捕から一貫した姿勢を見せる戸倉多香子さんは、頼りない民主党のなかで「胆力」を見せています。
 ただ残念なことに、まだ国会議員選挙に当選しておらず、党内の発言権も大きくありません。
 これが東京あたりの選挙区なら当選間違いないのですが、山口といえば保守自民王国です。特に衆議院議員選挙の相手候補は安倍晋三元一時首相ですから簡単ではありません。


 「数・形・音・義」の姓名学で、まず「画数」を見ますと、

  1  4 10   6  9  3
 * 戸 倉  多 香 子 

 天格15戊吉数 人格16己吉数 地格18辛吉数
 外格17庚吉数 総格32大吉数

 五格すべてが吉数で、特に総格32は女性にとって大吉の数とされます。

 組み合わせを見ますと、天格と人格が、戊己で吉、人格と地格は己辛の「汚玉」ですが、天格が戊なのであまり問題ありません。
 人格と外格は己庚で吉、となっており、目上との関係、部下との関係、対外関係ともに問題なく、画数の良さがそのまま反映する名前と言えます。


 次に「字形」を見ますと、

 「多」は「太陰」が重なり、純粋ですが、潔癖症の傾向があります。
 「香」は「天府」と「太陽」で、余裕、大らかさ、派手さ、開放性などを表します。
 「子」は「養」で、努力や苦労を表します。


 次に「奇門遁甲姓名学」で「字音」を見ますと、

 「とくら」は、「飛鳥跌穴」の吉格、
 「たかこ」も、「飛鳥跌穴」の吉格、ですから、
 
 「とくら」と呼ばれても、「たかこ」と呼ばれても「飛鳥跌穴」の吉名と言う事ができます。
 「飛鳥跌穴」の姓名を持つ人は、実力以上に評価され活躍することが多いものですが、すでに前回の衆議院選挙と参議院選挙で実力は見せており、今回の騒動での「胆力」を発揮すれば、次は当選の可能性も十分にあります。

 
 最後に「字義」を見ますと、

 「多香子」は非常に美しい名前ですが、「多」は「月」が重なる字形であり、「多すぎる」という意味もありますから、選挙ポスターなどで毎日見続けるとわずらわしく感じる人もいるかも知れません。
 ところが、戸倉さんは、選挙の際「とくらたかこ」とすべて平仮名を使用しておられるようですから、その問題はありません。
 むしろ「飛鳥跌穴」の音声だけが強調されるので、平仮名を使うことは非常にメリットがあるものです。

 とくらたかこさんには大いに期待したいところです。


[明澄透派・日本講座'9]

2009年5月30日(土)
紫薇斗数・超初級講座
2009年5月31日(日)
子平・遁甲・姓名学講座
2009年6月27日(土)
断易吉凶判断法
2009年6月28日(日)
周易(断易象意の見方)
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六壬神課・命理篇
2009年7月26日(日)
六壬神課・占卜・方位篇
2009年8月29日(土)〜30日(日)
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2009年9月19日(土)〜20日(日)
方剤大法と参禅


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| 五術 | 12:07 | comments(0) | trackbacks(1) |
公選法違反?<森田健作>は「飛宮」「陽刃」の大凶名
政治資金規正法

第1章 総 則
(目的)
第1条 この法律は、議会制民主政治の下における政党その他の政治団体の機能の重要性及び公職の候補者の責務の重要性にかんがみ、政治団体及び公職の候補者により行われる政治活動が国民の不断の監視と批判の下に行われるようにするため、政治団体の届出、政治団体に係る政治資金の収支の公開並びに政治団体及び公職の候補者に係る政治資金の接受の規正その他の措置を講ずることにより、政治活動の公明と公正を確保し、もつて民主政治の健全な発達に寄与することを目的とする。
(基本理念)
第2条 この法律は、政治資金が民主政治の健全な発達を希求して拠出される国民の浄財であることにかんがみ、その収支の状況を明らかにすることを旨とし、これに対する判断は国民にゆだね、いやしくも政治資金の拠出に関する国民の自発的意思を抑制することのないように、適切に運用されなければならない。
2 政治団体は、その責任を自覚し、その政治資金の収受に当たつては、いやしくも国民の疑惑を招くことのないように、この法律に基づいて公明正大に行わなければならない。

 
 「政治資金規正法」第2条、「基本理念」には、

この法律は、政治資金が民主政治の健全な発達を希求して拠出される国民の浄財であることにかんがみ、その収支の状況を明らかにすることを旨とし、これに対する判断は国民にゆだね、いやしくも政治資金の拠出に関する国民の自発的意思を抑制することのないように、適切に運用されなければならない。

 と、明記されています。
 つまり届け出られた政治資金(ヤミ献金でない)について判断するのは、検察や司法の仕事ではなく、国民自身が判断するべきもの、つまり、選挙によって人を選べというものです。
 
 今回、千葉県知事選挙に当選した、森田健作氏のように、自分が支部長の自民党支部で受けたドンキホーテなどからの企業献金を、自分個人の政治団体に迂回献金させ、なおかつ「完全無所属候補」を売り物にするような行為こそ、政治資金規正法の理念に反するものと言うべきです。
 さらに公職選挙法違反の疑いもあり、その場合は当選取り消しとなる可能性があります。


 ところで、森田健作氏の「ケンサク」という名前は、「奇門遁甲姓名学」では「飛宮格」に当たり、さらに「字形姓名学」で「陽刃」が重なる大凶名です。そうだ、先日のSFCG大島健伸氏とそっくり同じですね。(商工ファンドが破綻ー『姓名のすべて』の「予言」が的中!

 これを画数の姓名学で言うと、

 12  5  11  7
 森 田 健 作

 天格17庚  人格16己  地格18辛
 外格19壬  総格35戊

 となっており、外格以外はすべて吉数で、非常に良い名前かと勘違いしてしまいます。
 ところが、組み合わせを考えてみますと、
 
 庚と己は「刑格」 己と辛は「汚玉」 己と壬は「己土濁壬」となっており、汚職、刑罰、色情問題、健康問題などが生ずる恐れがありますから、これではとうてい良い名前とは言えません。 

  森田さん、前回次点に泣いて、今回は「さらば涙と」言いたいところでしょうが、そううまく行きますかどうか。 


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 その実例が「紫薇ベーシック」(PCソフト)の説明に書かれています。

 さらに「姓名学」「断易」「周易」「六壬命理」「六壬占卜」と、いつも私がお世話になっている「明澄透派五術」です。
 近頃ようやく「当たる」ということがどういうことなのか分かってきたような気がします。


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